なんで、私が電撃に!?
去年ほとんど一切記事を更新していないことからも明らかなように、去年は無、完全な虚無の一年でした。が、今年はどうにか、ライトノベルの賞に応募することができました。第30回電撃小説大賞です。ファンタジアファンタジア言ってた私がなんで電撃に応募してるのかはよくわかりませんが、とにかくそういうことになりました。あと、タイトルみたいなことは受かってから言ったほうがいい。
過去の記事を遡ると、なんか、見たことある字面だな……。それもそのはず、二年前の第27回スニーカー大賞の最終選考を落選した作品の改稿作だからです。ただし、これは方々で何度も言ってるんですが、ほとんどイチから書き直した、まったくの別物になっています。なので、二年前に一度読んだことがある人も、というより一度読んだことがある人にこそ、読んでもらいたい。もちろん、そんなもん知らねえという人も、この機会に読んでくれると嬉しいです。面白い、かどうかは(KADOKAWA)ちょっと保証しかねますが、少なくとも前よりずっとよくなっているとは思います。
一次選考の結果はたぶん7月10日。待て次回!!!!
ただ待っているだけというのもつまらんので、次はこれ
に出してみようかな~~~~~と、三日前ぐらいに思いつきました。できれば二本ぐらい出してみたいんですが、ホラーとか書いたこともないし何もわからない。読んだこともほとんどない。ホラーってなんなんだろう。なんで出そうと思ったんだ?
あと、仮にこれにとりかかるとすると、またファンタジアに出せなくなる。そういう呪いにでもかかってんのか? ホラーじゃん。
今回は以上です。
おわりー
その 未来への祝福を…
そろそろ向き合わなければならない。
いやもう充分に向き合ってたんですけど、単純にブログを書くのがだるくて……。
昨年いっぱい騒いでいた第27回スニーカー大賞は、下剋上を勝ち上がったものの、最終選考落選という結果となりました。そして、この最終選考において久々の《大賞》が出ました。歴史に立ち会えた、そして春日部タケル先生、長谷敏司先生による講評をいただけた……これだけで、実際の成績は三次選考落選の私にとっては、これ以上を望むべくもない、素晴らしい体験でした。みんなありがとう。受賞者のみなさんも、改めて、おめでとう。すぐ追いついてやるからな。
これからやらなければならないことは、拙作『ニアイコール・ネイキッド』の大幅な改稿・ブラッシュアップと、新作の準備。……なんですけれども、今日ここに至るまでまったく何ひとつ進展のないまま無為に日々を過ごしてしまった。それだけ、結果が出るまでの神経の摩耗と、落選という結果による精神の落ち込みがひどかったわけなんですが、そろそろ動き出してもいい頃だ。春も近いしね。
観に行ってそろそろ1ヶ月ぐらい経つんですけど、ARIAの劇場版第2作『ARIA The BENEDIZIONE』を観に行きました。もっと早く書け。
いや~素晴らしかったですね。劇場版第1作は正直あんまりピンとこなかったんですけど、姫屋の話だからなのか、非常に心にズンとくるものがあった。姫屋、いいよね……。"持たざる者"たちの話なので……。この第2作では、晃さんと藍華、二人の"持たざる者"が、ネオ・ヴェネツィアという世界でいかに唯一無二の存在となったか、ということが、TV版第2期第3期よりも詳細に語られます。敢えて言いますが、これは断じて百合ではない。あまりにも濃密な師弟愛、あるいはシスターフッドです。第1作は新たなシングルの三人娘の顔見せということもあり、どういう話なのかよくわかんなかったんですが、今回はとにかく姫屋。姫屋の話をやりたいんだ! という思いが伝わってきました。姫屋推しの私としては大満足です。
気になった点としては、アテナさんに新たに佐藤利奈さんという命が吹き込まれたにもかかわらず、マジで2行ぐらいしか台詞がなかったこと。これは次作以降に期待します。もうひとつは、シネマシティの極上音響で鑑賞したんですが、音のメリハリをつけすぎて、聴き取りづらい台詞がいくつかあったこと。たしかに引いた画のシーンではあったんですが、しっかり聴かせるべき台詞も遠く、小さくしてしまっていたのは音響の設計ミスだと思います。あの、「はい」というだけの、短いながらも、藍華の決意と覚悟を込めた声は、画面に対して矛盾を生じさせたとしても、はっきりと明瞭な音で聴きたかった。そこだけ、ちょっと残念なところでした。
えー。あとは、特に書くことないな。
もう一個だけあるか。先日の連休初日に、ところざわサクラタウンに行ってきました。行く前に近くのザ・場末みたいなパチンコ屋で撤去寸前の5号機ダンまちを打って2万負けて、全財産が2千円になり、寒風吹きすさぶなか、なけなしの2千円を握りしめてサクラタウンに向かい、新しい締切守(蘇芳)と笹本祐一『妖精作戦』を買った。ダ・ヴィンチストアはコンセプトは悪くない書店だと思うけど、検索性(本棚の並び)があまりに悪すぎて、「特に目当ての本はないがなんとなく欲しいジャンルの本はある」場合の買い物がすごく疲れる。本は網羅的に並んでいてほしい。
フォロワー、ここに本を並べてくれ pic.twitter.com/Tvdo38eT0F
— アレノアザミ (@azamizm) 2022年2月11日
おわりー
ご報告
今年はいろんなことがあったような、そうでないような、まあ、つまり普通の一年でした。相変わらず職はない。10年書けていなかったラノベを書けたのだけが唯一の進歩と言っていいかもしれません。
今年、わたしが何度も聴いた楽曲はこれ。あなたは? #Spotifyまとめ https://t.co/V9tQeAMwkU
— アレノアザミ (@azamizm) 2021年12月1日
今年はこんな曲を聴いていたらしいです。音楽はイヤホンまたはヘッドホンでしか聴かないこともあり、メンタル状況によっては、頭の中を音楽で埋め尽くされるのがウザく感じられることもままあり、今年はあんまりSpotifyを起動しなかったかもしれません。まあ、それでも新たな音楽との出会いは人生における小確幸(ささやかだけれど確かな幸せ ©村上春樹)のひとつであり、今年も頭をブチ抜かれたアルバムはありました。上田麗奈の『Nebula』。
いや~~~~~、素晴らしいアルバムでした。この数年の女性声優によるシティーポップというお決まりのコンセプトにはかなり食傷気味で、この『Nebula』にもそういった楽曲が入っています。ですが、それがアルバムのコンセプトとしてちゃんと生きてるんですね。
ジャケ写が示唆するように、これまでの上田麗奈さんのフワッとしたイメージからは逸脱する、ダークな世界観。よく言えば人魚姫か、そうでなければ何かおぞましい海底に棲む怪物が、孤独に藻掻きながら水面を目指して、その途上で狂気にも陥りながら、水中をゆっくり、ゆっくりと浮上していく。そして水面に顔を出したとき、世界はそれを祝福する。そのためのシティーポップなんですよね。特に「anemone」の軽やかさと、それでいて力強くジャキジャキと鳴るギターの心地よさ。人魚が足を得て、人の街をウキウキと目を輝かせて歩いているような光景すら浮かんでくる。
前作『Empathy』もただならぬアルバムではありますが、この二枚により、上田麗奈というアーティストは十把一絡げの「歌も歌う女性声優」などではなくなってしまった。それ自体は喜ばしいことなのかもしれませんが、同時に、上田麗奈という人が背負おうとしているもの、背負わされようとしているもののあまりの巨大さに、ちょっと恐怖すら感じてしまう。これから、声優上田麗奈、そしてアーティスト上田麗奈はどのような存在になっていくのか。ますます目が離せなくなりましたね。ホラー小説の朗読とかやるといいと思う。
え~、それから私的なご報告があります。
第27回スニーカー大賞後期三次選考に落選した7作で争われた下剋上システム。中間発表を1位で通過したことは前の記事で書きましたが、最終結果も1位となり、晴れて最終選考に進めることになりました。とんねるずのみなさんのおかげです。正直に申しまして、もうだめだと思っていました。理由は詳しく書きませんが、中間発表後は神経をゴリゴリと削られる日々でした。まあともあれ、結果よければすべてよしです。受賞の可能性がどうとかは一旦脇に置くとして、まがりなりにも最終選考に進出、そしてバリバリのプロ作家に自作を読んでもらうという意義は大きい。受賞するぐらいに。一度は落選した身、今度こそ結果には拘らない。ネットで小説を公開するタイプの書き手ではない私にしてみれば、下剋上システムのおかげで考えられないぐらい多くの人に作品を読んでもらえ、さらにその結果として得票数1位をとることができた。二次選考を通ったときとは比べ物にならないぐらい嬉しいことです。もう充分もらったから。そんな気分です。それはそれとして、もっといい報告が来月できれば、もちろんそれがいちばんいいんですけども。
最後に、一昨日、衝撃を受けたツイートを引用して終わります。
アレノアザミさんが二次選考を通過していなかったら今の俺は無かった
— 藤想 (@561273) 2021年11月30日
ケモ夫人がよぉ……。
いま世界で最もアツく面白い漫画です、ケモ夫人。全人類読みましょう。
【追記】
次はこれに出してみようかと思ってるんですけど。
〆切、3日後なんすよね……。まだ何も、一文字も書いてない。明日から本気出す。
【追記2】
それでは時間となりましたので、重大発表の方させていただきます。 pic.twitter.com/tRiiWth9nD
— 藤想@ケモ夫人連載中 (@kanon_pic) 2021年12月4日
いや~~~~~~~、めでたい。当然のことなので驚きはしませんが。
私も成す。お前も成す。みんな成す。それで万事OKだ。
成すぞ🍆🍆🍆🍆🍆🍆🍆🍆🍆🍆🍆🍆🍆
おわりー
『アイの歌声を聴かせて』感想、あるいは遅すぎた経過報告
一昨日、いま話題の(話題だよね????)アニメーション映画『アイの歌声を聴かせて』を観に行きました(じゃあ一昨日書けよ)。
ほぼ予備知識ゼロ、同監督作品については大昔に『イヴの時間』ファーストシーズンを1話で投げた程度しか触れた経験なし。ひどく評判の悪い予告編も、そもそも映画を観に行くことがないので観ていない(なにしろカネがない)。というわけで、特に期待せず、ブログのネタにぐらいはなってくれ……! というぐらいの感じで観に行きました。
結論から言うと、とてもよかった。パッと見、「ミュージカルアニメなのかな?」と思っていたんですが、蓋を開けてみると、そうではなかった。歌うのほとんどシオンだけだし。ミュージカルアニメではなく、真摯なSF作品でした。AIに関しては素人ながら「それはどうなんだ」と感じるシーンもあり、やや危うい描写もありつつ、「まあ、でも巨大企業が支配する実験地区だしな……」で全部流しました。
ミュージカル映画ではない、とは言ったものの、"ミュージカル"が作品のひとつのキイになっていることは間違いなく、じっさいシオンは劇中何度も歌い出します。突拍子もなく。最初に教室で歌い出したときは「なんやねんこいつ……」と思った。たぶん、主人公のサトミを含めた作中の教室にいる全員がそう思ったことでしょう。しかしシオンはめげずに(なにしろAIなので)何度も歌い、歌うたびに、周りの人間、あるいは人間関係にポジティヴな変化をもたらしていく。それは観ている私もそうで、最初は「なんやねんこいつ……」としか思わなかったのに、中盤以降はいつの間にか「早く、早くシオンちゃんの歌を聴かせてくれ!」と思っていました。
私が何よりいいなと思ったのは、ポンコツAIシオンちゃんの絶妙なかわいくなさです。かわいくないんですよ。むしろちょっと気持ち悪い。おそらく不気味の谷現象の一種なんだと思うんですが、顔貌は人間、というか作中の人間=キャラクターと同一のつくりをしていながら、表情の種類に乏しく、また、常にどこに焦点あってんのかわからん目つきをしている。それは物語のクライマックスまで続き、シオンが初めて"人間らしい"顔つきになるのは、終盤、バッテリーが切れかけて死にそうになっているところからです。ラストでは、シオンは実に美しい"死に顔"をみせる。しかし、そこに居合わせたサトミとトウマはそれを見ていない。シオンの本質は容れ物ではなく中身、つまりAIであるので、死にゆく筐体には誰も目を向けず、シオンというAIのパーソナルデータの向かう空だけを見上げている。これが実によかったです。ロボットというものに誠実に向き合ったアニメーション表現だと思いました。
いい映画でした。みんな観に行きましょう。
はい、こっからぜんぜん関係ない話になります。
前回のこの記事で書いたように、私は現在、第27回スニーカー大賞後期に応募しており、三次選考で落選したものの、下剋上システムという謎の力で未だ完全には死んでおりません。戦いの舞台は読者による選考に場を移しました。そして、去る、えーと、12日ぐらいだったかな……中間発表があり、拙作『ニアイコール・ネイキッド』が1位通過していました。拍手。
いまだ、最大PV話数、最小PV話数ともにぶっちぎってトップをひた走っておるのですが、まあ、なんというか、この下剋上システムをウォッチしている数少ない変態だけは、この数字がまったく安心できないものであることを知っています。どう考えてもこの報告をもっと早く記事にすべきだったんですが、持病の癪、というか鬱がね。
一度は死んだ身、結果には拘らんと強がったりもしていますが、やっぱりね、どう考えたってただ三次選考で落ちるのと、どんな形であっても最終選考に進み、今回の選考委員である春日部タケル先生と長谷敏司先生に読んでもらえるのとでは、まるで意味合いが異なってくるわけです。ここまで来たらねえ、勝ちたいですよ。やっぱりね。
そういうわけで、これが最後のお願いとなります。
下剋上システム特設ページ
kakuyomu.jp拙作『ニアイコール・ネイキッド』
本日はインターネット全国大会こと文学フリマの開催日。タイミングとしてはそれほどいいとは言えないのですが、投票〆切である今週金曜日26日12時(昼)までは、今日を入れて約4日あります。もう一度言います。26日の、"お昼の"12時が投票〆切です。
読んでくれ!!!!! そして、投票してくれ!!!!
原稿には明確な欠点はあります。今風でないこともわかっています。ですが、だからこそ、「こういうのが読みたかった」、そう思っていただける"ライトノベル"が、ここにあります。
読めばわかる!!!!! たぶん!!!
近い未来のラノベ作家を作るのは、あなたです。
おわりー
人生≒ギャンブル
前回記事を書いたのが3月、前々回はちょうど1年前。こんな有様のブログはぶっ壊して新たなブログを立ち上げようかとも思ったんですが、1年に1度しか記事を更新しない己もまた己、ブログを消しても一番ダメな自分は残るぜ。ということで、このブログを継続し、なおかつ可能な限り更新頻度も上げていこうかと、そう思うに至りました。これからも透明でくにゃくにゃしていくぞ。
記事を書くなら何らかのネタは欲しく、ちょうど、まあまあのネタがあるので今日はそれについて書きます。
去る6月中旬、頭の医者からの帰り道にある一度も入ったことがない怪しげなバーにカルーアの絵とともに「Don't Think,Action」と書かれた看板が掲げられているのを目にして、「おっ、そうだな」と思い、一日のうちの大半を費やしているTwitterを断ち、6月末〆切の第27回スニーカー大賞後期を一応の目標にして10年ぶりぐらいにライトノベルを書き始め、2週間で書き上げて応募しました。初めてライトノベルの公募の賞に応募したのが第1回このライトノベルがすごい!大賞で、そこで二次落ちしたものを第3回GA文庫大賞に応募して同じく二次落ちしたのを最後に書くことをやめていたので、本当にちょうど10年ということになります。書いていて寒気がしてきました。ともかく、それでまあ、一次二次と快調に通過し、つい昨日のことですが、三次選考の結果が発表され、見事、落選しました。最終選考に進んだ皆さま、おめでとうございます!○す!!!
しかし、どうやら私の戦争は終わっていないらしい。上のキャプでもちらっと見えていると思いますが、今回の第27回に限り、「下剋上システム」なるものが用意されておりまして、三次選考落選作をカクヨム上で公開し、読者投票数の最も多かった作品を改めて最終選考に上げるという、意味のよくわからない挑戦的なことをやっておりまして。上のページからも飛べるんですが、
こちらがその特設ページとなります。おそらく一定期間しかネット上に存在しない、レアなページです。ここで、ともに散った7人の作品が読めます。私はアレノアザミという名前で応募しています。普通にHNと同じなので特に断る必要がなかった。投票フォームも同じページ内にあり、最も面白いと思った作品に票を投じればよいというシンプルな仕組みです。当然のことながら、いま何票入ってるかとかは応募者である私にもさっぱりわかりません。まあ、投票してもらえたら嬉しいですが、何よりも純粋に10年ぶりに無職のオッサンががんばって書いたラノベを読んでほしいという気持ちが強い。暇で暇でしかたなくて、このままだと人間でも○してしまいそうだというあなたに読んでほしい。会社や学校がクソつまんねえあなたに読んでほしい。そして、いっときの慰みにでもなればいい。ライトノベル、いや小説というのはそのためにあるんです。
建前、これぐらいでいいっすか? ここからは本音に移ります。
投票してくれ!!!!!!!! あなたの清き一票が力になります!!!!!!! なんか明日やるっぽい国のアレと違って18歳未満にも投票権があります!!!!! 公約は……すまんが何も約束できない。面白さは保証……もできない。ただ、あなたが票を投じてくれたなら、そしてもし最終選考にもう一度挑戦するチャンスが与えられたなら、改稿し、パワーアップさせ、より面白い『ニアイコール・ネイキッド』をお届けすることができるかもしれない。投票の〆切は11月26日12時。それまで私は牙を研ぎながら、そんな小さな可能性に賭けている。あなたがその賭けに乗ってくれたなら嬉しい。
ともあれ、まずは読んでほしい。語り手と読み手がいて、初めて小説は小説になるのだから。
おわりー
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||と、その他の感想(ネタバレがあります)
久しぶりの更新はこの挨拶で始めましょうか。
献杯!
葬式なので酒を飲みます。なんで葬式のあとって酒飲むんですかね?
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観に行ってきました。ネタバレもあると思うんで、そのへんは各自自己責任でお願いします。関係ないことも書くかもしれません。もう酒飲んでるのでこの先どうなるのか自分でもわからない。
観たのはTOHOシネマズ立川立飛の轟音上映回です。シネマシティが全部埋まっていたのもありますが、昨年9月という史上最悪な時期にオープンした映画館なので、応援の意味も込めて初めて行ってきました。飲料がドリンクバーとは知らなかった。結局ホットコーヒー一杯しか飲まなかったのでえらい高くつきましたが。チュロスかポップコーンも頼みたかったけど時間が本当にギリギリで、なおかつめちゃめちゃ売店が混んでいたので諦めた。緊急事態宣言ってなんだっけ、みたいな人手でした。東京都民もまだまだ捨てたものではない。
結果的に食べ物は頼まなくて正解でした。上映中、スナックをつまんでいる隙など微塵もなかった。すべてのシークエンスが、すべてのカットが今後永久に伝説となるのだ。視線を外すどころか、つけているマスクで若干視界が狭くなることすら疎ましく感じる。
私はエヴァの良いファンではない。入り口はTV版も旧劇もとっくに終わっていた大学時代、悪い友人に連れて行かれたパチスロ屋で5号機のエヴァを打ったこと。1000円札を投入するたびに青髪ショートカットの女に「そうやって、嫌なことから逃げているのね」と言われ続け、そういうお前は誰なんだよということで、今はなきAnitube(ないよね?)で動画を探し、TV版及び旧劇を全部違法視聴した。きっかけは最悪だったが、私がオタクになったのは間違いなくこの体験によってだった。演出の素晴らしさについてはいまさら語る必要もない。その後、わりとすぐ新劇場版の公開が始まった。そこから今日までが長かったわけですが……。新劇はすべて劇場で観た。TV版及び旧劇に触れてそれほど間もなかったこともあり、序にはあまりノれなかった。破は純粋にエンターテインメントとして非常に楽しめた。Qは……Qは、いろんな人が言っているがラストシーン以外はどうしようもねえな、というのが当時(いつだっけ?)の感想だった。オタクの予想全部外してみました、という意図でのみ作られたとしか思えず、ヴィレとかヴンダーとかの存在をどうしても受け入れることができなかった。今日までは。
ようやくシン・エヴァの話ができるわけですが、はっきり言って今日の時点ではうまくまとまらない(じゃあなんでブログ書き始めたんだ)。うまくまとめるのは他の人に任せます。
ここまで読んでいる人は当然全員視聴済みという前提で話を進めます。一言で言えば、あれは葬式じゃないですか。紛れもなく、葬式だったんです。エヴァンゲリオンというコンテンツと、そのキャラクターたちの。THE END OF EVANGELIONでは終わらせることができなかったエヴァンゲリオンを、相応の覚悟をもって、殺してやった、ということなんだと思います。
アニメ業界のことはよく知りませんが、カラーという株式会社はほぼ、エヴァのIPで食っているということは想像に難くない。これまで数多くの、本当に数多くのパチンコやスロットに版権を売り、コンビニとのしょうもないコラボを乱発し、言ってしまえば自らのコンテンツをめちゃめちゃ安く売りまくっていた。アニメビジネスというのは総じてそういうものなのかもしれませんが、20年あまりにわたって自分の子であるキャラクターに売春させていたようなものです。キャラクターは歳をとらず、いつまでも若く美しい。これほど使いでのいい娼婦(あるいは娼年)はいない。
そういう罪を、株式会社カラーは当然のことながら批判を覚悟でやってきたわけです。エヴァ狂いの友人は「それ(パチンコになったりすること)すらエヴァだ」と宣っていた。果てしなく安売りし、現実空間に中身のないキャラクターが氾濫すること、それ自体がエヴァなのだと。私はそこまで良いファンではないので「そ、そっか……」と若干引きつつエヴァのパチスロで数えるのも億劫なほどの万札を溶かした。Q公開から今日までの8年だか9年だかという年月は、簡単に言ってしまえばそういうものだった。その悪夢のような楽園のような日々が今日、ようやく終わったのだ。献杯……。
映画の前半ではニアサード後の人々の営みを見せ、後半はTHE END OF EVANGELIONを自ら元ネタに、その対比を、20年という年月によって変わったものを見せてくれた。テーマは旧劇と同様、神殺し、そして親殺しであり、それは変わらないが、何より見せ方が変わった。旧劇ではおそらく神である己を殺すこと(つまり自殺だ)に終始していたのだが、シン・エヴァンゲリオンでは、もはや己の手を離れ、制御不能となった神(エヴァンゲリオンというコンテンツそのもの)を殺してみせた。本当に殺せたかどうかはいまの時点では不明。それは後の歴史が、そしてアニメスタジオ・カラー自身が証明していくことになるだろう。たしか劇中、マリがこんなことを言う。「子どもが親にしてやれるのは、肩たたきか、殺してやることぐらい」。旧エヴァには存在せず、終始ルールの外にいた真希波・マリ・イラストリアスという女性だからこそ言えた台詞なのかもしれない。エヴァンゲリオンという作品は、庵野秀明にとって子であり、もはや親でもあったのかもしれない。一番の要点は、今回は自殺ではないということだと思います。これまで散々売春に使ってきた少年少女たちを、贖罪として殺してやり、安らかに眠らせてやる。その手法として使われたのが、私としては非常に言葉に困るのだが、いわゆる"NTR"だった。
新劇場版のアスカ、いわゆる式波・アスカ・ラングレーという少女もまた、アヤナミ初期ロットと同じくコピーされた存在であるということが今回、明らかになるわけですが(オリジナルが惣流ということなの? いや、惣流もたしか試験管ベビーなんですが……)、少女の大量コピーというのはこれまでカラーがやってきたエヴァ商法そのものであり寓意的ではあります。そして、アヤナミ初期ロットが固有の人格をもつようになるように、コピーであるアスカもまた、一人の男性と、シンジではない男と明確に肉体関係をもっている。
私はNTRが好きなんですが決してNTRが得意というわけではなく、これは相当にショッキングなことでした。ですが、だからこそ、この"NTR"を利用したキャラクターの解放という手法には舌を巻くしかありませんでした。そして同時に、この感覚には覚えがある、とも感じました。
これ、新海誠じゃん。
あるいは『僕だけがいない街』にも似ている。前者は明白にエヴァ・チルドレン、かつ村上春樹チルドレンなので似ているのは当然として、映画全体のプロットが後者に似ているというのはなかなかに不思議だった。いや、似ているというのは違うのかもしれない。シン・エヴァはそれらをすべて呑み込んだのだ。旧エヴァから今日に至るまでの20年で生み出された新たな物語の語り方、ジャンルとして確立したNTR、そのすべてを利用して、エヴァという作品は20年前に成せなかったことをやり遂げたのだ。はっきり言って、画面は旧劇のほうが遥かに良い。演出のキレは比較にもならない。しかし、たしかに神殺しは成った。2021年にできる最善を尽くし、自らが生み出した怪物を殺し、娼婦を眠らせた。いまの私には、そう思えてなりません。
お酒なくなっちゃった……。
コーヒーについて
冬場*1は日に30杯のコーヒーを飲むことは前の記事でも書いた(書いたっけ?)。内訳としてはほぼ9割9分がネスカフェゴールドブレンドで、あとはごく稀にマキシムのなんか、いちばん普通のやつ。それを目分量でだいたいスプーン3杯分ぐらいをガバっと瓶からダイレクトにマグカップに投入し、熱湯を注ぐだけ。基本的には何も入れず、そのままブラックで飲む。たまに気分を変えたいときは牛乳だけ入れて無糖カフェオレにしたり、低血糖(低血糖ではないらしいが、じゃあなんなんだ?)でふらふらしてきたら、さらに砂糖を入れて甘いカフェオレを飲む。月に一度あるかないかぐらいですが。
外出(週に数回、徒歩2分のコンビニに行くこと)したときなどは缶コーヒーを買う。私は缶コーヒーをコーヒーと思っていないので、「基本的にブラック」というルールは缶コーヒーには適用されず、むしろクソ甘そうなやつをデザート感覚で買う場合が多い。「微糖」と書かれている缶コーヒーにはほぼ確実に人工甘味料が入っているので買わない。核兵器と人工甘味料、そしてカスタムメイド3D2は人類が生み出した三大悪と言われている。新商品や見たことのない缶コーヒーがあれば必ず買う。そして二度と買わないことが多い。甘い缶コーヒーはホットだと冬場*1はさらに腹に沁みるのでいいんだけど、その代わりに冷めると悲惨だ。ホットの缶コーヒーは冷めた途端になんか、デキストリン?とかその他のなんかよくわからん添加物が牙を剥いてくる。なので、甘いホットの缶コーヒーを飲むときは本物の男がそうしているように買って3秒で飲み干すのがいい。とはいえ、やはり甘い缶コーヒーはデザートだ。日常的に(起床直後から就寝直前まで)飲むコーヒーは苦くあるべきだ。
私はコーヒーに苦さのみを求めている。コーヒーは苦ければ苦いほどいい。缶コーヒーにはそれを求めないと言ったが、新商品を見かけたら必ず買うとも言った。そして今年の春先、近所の自販機で見慣れないボトルの新商品を発見した。
WONDA X-BITTER BLACK。一見して、苦さに特化したコーヒーであることがわかる。値段は他の缶コーヒーと変わらず、しかし容量は大きい。即座に購入した。そして家に戻り、飲んでみると…………苦い。めちゃくちゃ苦い。普通のブラック缶コーヒーの2.5倍ぐらい苦い。まるで私のために開発された商品じゃないか————私は狂喜するとともに、この新機軸の缶コーヒーが誰に向けて作られた商品なのかを察した。これは、普段エナジードリンクを飲んでいるようなオタクがターゲットなのだ。ライバルは缶コーヒーではない。レッドブル、そしてモンスターエナジーだ。それはボトルのデザインを見てもわかる。背の高い、245gというサイズ感は明らかにコンビニからエナジードリンクの棚を奪おうとしている。プルタブのメタリックブルーの色合いも、エナジードリンクのそれを意識しているように思える。さすがWONDA。さすがアサヒ飲料。打ち出すコンセプトがひと味違う。
思えば学生時代、やはりWONDAのブランドから発売され、現在に至るまで超ロングセラーとなっているモーニングショットの出現も衝撃的だった。働く人の「朝専用コーヒー」というきわめて新規性のあるコンセプト。味それ自体は何が朝専用なのかまるでわからないが、そもそも缶コーヒーはどれも同じような味なんだから、味なんかどうでもいいのだ。「彼らはラーメンを食っているのではない。情報を食っているのだ」とは誰が言ったか知らないが、その言い分に倣うなら、我々はコーヒーを飲んでいるのではない。コンセプトを飲んでいるのだ。私は飲料に関してはサントリー信者のきらいがあり、応援したい缶コーヒーブランドはいつもBOSSなのだが、新規性があり、且つ「勝てる」コンセプトを出してくるアサヒ飲料の手腕は認めないわけにはいくまい。
そんなわけで、今春から夏場にかけて、私にしてはめずらしく同じ缶コーヒーをリピートすることになった。10月になって急に冷え込み、人権が失われたのでひきこもりにも拍車がかかり、自然と缶コーヒーを買う機会もなくなっていたが、ここ数日は気持のいい秋晴れが続き、今日もそれなりに暖かかったので数日ぶりに外に出て、自販機にまだつめた~いWONDA X-BITTER BLACKが置いてあったので久しぶりに買ってきた。やはり苦い。他のブラックコーヒーにはない、あとを引く苦さだ。何の気なしにボトルを裏返し、初めて原材料の項目を見た。無糖ブラック缶コーヒーの原材料など普通、見ることはない。「コーヒー」とのみ書かれているに決まっているからだ。UCCブラック無糖の「原材料:コーヒー、以上。」という勇ましいCMも記憶に新しい。まあ、デキストリンぐらいは入っているかもしれない。デキストリンって、何なのかよく知らないんですけど。目を凝らしてよく見ると、
香料、ホップ
ホップ?????????????????????????????
苦味の正体はコーヒーではなくホップでした。あと、サブタイトル(サブタイトルなの?)の「ウマニガで研ぎ澄ませ」の「ウマニガ」って、ずっと豆の種類か南米のコーヒー産地の地名かなんかかと思ってたんですけど、エクアドルあたりにありそうじゃないですか、ウマニガって。軽くググってみても一個も出てこないし、ひょっとして、ひょっとしてだけど、ウマニガって「旨」「苦」ってことなの???????????
今年も残りあとわずか。研ぎ澄ましていきましょう。
*1:一年で気温が20℃を下回っている時間帯全部のこと